真の饒舌部屋

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ワード指摘のリスクとリターンの話

【ワード指摘のリスクとリターンの話】


 前提として、ワード知識を全て全員が理解してるということで話を進める。

 これは今回のワード指摘の話の意味合いをわかりやすくするための前提であり、私の考えとしてはワード知識を全員がすべて理解してる必要はないということが根本にあるので勘違いなきようお願いする。

 まず、ワード指摘は諸刃の剣であるというのは、ずっと前から私は述べてることである。

理由は3つある。

 1つに、狼側からの村への黒塗りの原因になりやすい。

 2つに、復唱を疑われて周りと不必要なラインを作ってしまうことにある。

 3つに、村に対してワードを指摘してしまった場合にワード指摘は殴りとなり他者からの信頼を損ねる点にある。

周りからの発言で反射的に見つけたものを、ワード指摘としてそのまま周りに伝える行為(これを反射的ワード指摘と定義する)は本当に何も考えずにやってしまうと、あまり生産性がなかったりする。行為には必ず意味が生まれなければならないと私は考える。

 ここで、前提を思い出して欲しい。

ワード知識を全て全員が理解してる場合のことである。

 自分が見えてるワードは他の者達からも当然見えてる。それが他者と自分の共通認識であるのならば、先程言ったワード指摘のリスクを負う必要はない。

 つまり、その場合は反射的なワード指摘はあまり重要ではない。(もちろん、ワード知識が不足してる方がいる場合はリスクを負ってでも有識者達はワード指摘をする必要がある。これは明確な黒要素を村へ提示し、新たな共通認識とするためである。)

 ワード指摘にはリターンがなければならない。

反射的ワード指摘はあまり重要ではないと述べたが、ではどのようなワード指摘がリターンを取れるかということについて提言したい。

3つまた述べる。

 1つに、周りが気付いてないワードを誰よりもいち早く察知して指摘することにある。

ワードに気付かない、見逃すということは、そもそも狼を捕捉できずに村がそのまま負けてしまう原因にも繋がる。その負け筋を潰す行為は、自分を白く引き立てるのにも一役買う。

 つまり、多くのリターンが見込めると言える。

 2つに、狼を探す姿勢を村にアピールすることにある。ここで大事なのは、意識的な問題であるが、単なる黒塗りなのか狼をしっかり探しているのかにある。吊り位置を探すのではなく、or第三陣営の位置付け。また、ワードの量、大小、ワード回しの質の精査の過程。役職によるムーブの動作、COの出方、パッション(パッションについてだが、ワード量だけで見ると黒でしかないが村に見える要素がある場合にのみにこの考察は一考の余地があると言えよう。これは、各々のプレイスタイルによる問題なので、パッションに対する考察も研究の余地はあると言えよう。個人的にワード見ずに黒見つけられる人がいても面白いと思ってる。もちろん、ワード探し村なのでワードから狼を見つけないのは勿体ないとも感じるが)と様々見るべき内容がある。

 具体例は上に挙げた通りで、ワードに基づく考察はワードという物的証拠がある時点で推理と化す。推理を順序立てて説明できる力は経験で磨かれていくものであると言えよう。

 3つに、ワード指摘による黒白のヘイト管理。さきほど、あまり重要ではないと述べた反射的ワード指摘であるが、全く無くなるのは非常に良いものではない。

 理由としては、議論の活性化がなされなくなる点である。ワード指摘を起点として村は狼を見つけて行く。その起点が村がワード指摘無しになってしまうと、狼がワード指摘をして起点となってしまい狼側に主導権を渡すということになってしまう。非常に危険な事である。

 指摘吊り位置となる側面が大体の饒舌部屋は強い。

 だから、狼側からの村や第三陣営への吊り誘導が入ってしまうと村にとって不利益を被ってしまうから良くない。

  なので、反射的ワード指摘は、早いレスポンスによる議論活性化においては有用である。ただ、それだけに収まるのは勿体ない。

反射的にワードを捉えつつ、意識的なワード指摘へと持って行くことが、他者の目線を意識した黒白のヘイト管理を行うことへの道筋となる。

 ワード指摘は諸刃の剣と言ったが、黒を見られる覚悟がある上でのリスクは割り切るべきだ。(その後の推理や考察、ワード指摘で挽回していけば、あまりにも酷い状態でなければ信用は回復できるからである)

 リターンは、自己防衛にある。

噛み位置と吊り位置から外れるのがリターンと言える。(過度なワード指摘は村からの反感を買う場合もある。もちろん、逆もあるので一長一短と言えよう。)

黒に見られるとしても、周りが黒に見る要素は人によって違う。

 例として、自分が【夜】というワードを言ったとして周りにいる一人が【ペナ】と言っていたら同じ黒に見られるということでも立場と話が変わってくる。

 このワード比較精査の結果、大半は大きいワードである【ペナ】に票を入れるだろう。

 反射的にそのままのワード指摘の大半は雑殴りになり得ると思う。

 だが、反射的にワードを捉え、それを意識的にワード指摘できるようになるならば、雑殴りには変わらないがそこには意味が生まれる。

 雑殴りであるワード指摘でへイトを他に向けることにより、自分を生かすこともあれば、もしかすると、村を助けることもあるだろう。

 例えば初日にワードがなく白置きできる人を初日に殴り続けて狼の噛み位置から外す動きもできるだろう。(翌日に殴った理由を述べるなどの弁解が必要)

 このようなヘイト管理を行うことで、村として生き残って狼を全て吊すというのが最大の目的である。

 最も、ワード指摘による最大のリターンは狼を吊せる可能性が上がる点であるが、初日の段階では判別は非常に難しい。

 饒舌な人狼は毎日ワードを言わないと行けない故に、日を追う毎にワードは浮き彫りになってくる。3日目、4日目は推理材料が増えると言えるので、村は見えてくるものを掴む必要があるだろう。


 反射的ワード指摘について、2回目になるが、周りからの発言で反射的に見つけたものを、そのまま周りにワード指摘として伝える行為のことである。

 ワード知識を全て全員が理解している前提を作っているからこそ、反射的ワード指摘はあまり重要ではないと言ってるので勘違いしないようにお願いします。

 ワード知識の理解度の差は個々人違っているのが当たり前で、ワード知識の差をその村で少しでも無くすための反射的ワード指摘は必要である。リスクを負ってでも有識者達はそのためのワード指摘をする必要性はある。明確な黒要素を村へ提示し、新たな共通認識とするためだというのが反射的ワード指摘の最大の必要性だと私は感じている。重複する内容を語っているが、これは筆者とこれを見る者の齟齬を無くすためである。


 反射的に捉えるのはもちろん、必要ではある。ただ、反射的に見たモノを自分で飲み込んでから意識的にワード指摘をするというのがもっと重要なことだと私は思う。

 要するにワード指摘一つするにしても、一歩踏み越える余地は残されているということだ。


以上ワード指摘によるリスクとリターンの話でした。真ゲイルの経験から今回のことを話したので、もちろん正解不正解やご指摘等はあると思います。これから、私自身が成長したり、得る内容次第ではこの内容も大幅に変わることがあると思います。ただ現段階での真ゲイルの思考として残しておきます。饒舌部屋におけるワード指摘への理解を自分自身が深めるために言葉に表しました。皆様にも多くの饒舌部屋における新しい発見や饒舌部屋をもっと楽しく論理的に行う機会、また深い理解へ繋がればと思います。

饒舌部屋のますますの発展を願っております。本日はありがとうございました。